羽田空港名作イス 1
羽田空港のターミナルで、デザイナーズチェアをよく見かけます。
展示ではなく、休憩用のイスとして普通に置いてあるので、なにげに名作イスに座れるのは嬉しいものです。
これからシリーズで記事ごとに5点まとめて紹介していきます。アナタが気になっている名作イスがあれば、
イスがまだ置いてあるうちに、羽田ご利用の際に座ってみてください。 (場所のデータは記事末参照)
Diamond Chair (ダイアモンドチェア)
Harry Bertoia/第2・3F/UpperDeckTokyo
記念すべき最初のイスは、デザイナー・彫刻家のハリー・ベルトイア(Harry Bertoia)のワイヤーチェアの
中でも、名作の誉れ高い、ダイヤモンドチェアです。
このイスは、硬質のスチールワイヤーのハズなんですが、包み込まれるような柔らかい座り心地が味わえます。
このイスに座るときは、背面とゆるやかな曲面でつながる左右のアーム部分に、両手を広げるポーズをとって
くつろいでしまいます。
ハリー・ベルトイア (1915-1978)はイタリア生まれ。1930年代にアメリカに移民。デトロイトのカス工科大学
を卒業後、クランブルック美術アカデミーで学び、後に同アカデミーに金属工房を設立して教鞭をとります。
彼はイームズ夫妻とともに成形合板の加工技術の開発もしています。ワイヤーチェアが完成するまでの経緯
には、美術アカデミー時代からの友人で、後にデザイナーズ家具のレプリカ販売で世界的に有名になる
Knoll社を興したハンス・G・ノールと彼の妻フローレンスが深くかかわっています。ワイヤーチェアは商業的
にも大成功し、ベルトイアが晩年を彫刻に専念するようになってからも、ノール社でダイヤモンドチェアは作り
続けられ、現在も販売されています。このイスはまたMoMAの永久コレクションでもあります。
Panton Classic (パントン・クラシック)
Verner Panton/第2・3F/UpperDeckTokyo
デンマークのデザイナー、ヴェルナー・パントン(Verner Panton)の代表作であるパントンチェアで、
これは、オリジナルに近いFRP素材のパントン・クラシックだと思われます。
現在普及しているリプロダクト品のポリプロピレン、ABS樹脂製のパントンチェアは、楽天ショップからでも
リーズナブルな価格で購入できるようになっています 。
プラスチックの一体成型という画期的な手法で、まったく継ぎ目がありません。またスタッキング(積み重ね)
でき、収納に場所を取らない利点があります。
空港に置いてあるのは黒のタイプですが、一般的には白のタイプの方がよりポピュラーかもしれません。
前記事『優勝は19世紀の住宅』で、リビングスペースに置かれていたのが、このイスの白のタイプでした。
ヴェルナー・パントン(1926 – 1998 )は、デンマーク生まれ、王立美術アカデミーで建築を勉強した後、
当時北欧のトップであったアルネ・ヤコブセンの建築事務所で働きました。1955年から自分の建築デザイン
事務所をもち、1967年にパントンチェアを発表。彼のイスでは、コーンチェア・ハートチェア等も有名です。
Chair-One (チェア・ワン)
Konstantin Grcic/第2・3F/UpperDeckTokyo
イタリアのデザイナーズ家具MAGIS(マジス)のアルミ製のイス。
ドイツのインダストリアル・デザイナー、コンスタンチン・グルチッチ(Konstantin Grcic)の作品です。
見た目は華奢に見えますが、ダイキャストアルミニウムの座面とアルミアルマイト仕上げの脚部はしっかり
固定され剛性は高いといえます。屋外使用も可能で、スタッキング(積み重ね)もできます。
コンスタンチン・グルチッチ(1965~)は、シャープかつ無理のない構築的なデザイン(△2)が得意で、
そんなセンスに相応しい端正なイケメンです(△1)。今は、男前に渋みが加わっています(△4)。
彼を有名にしたのは、照明器具の『メーデー(mayday)』(△3)。彼はドイツ・ミュンヘンに生まれ、
ロンドンのRoyal College of Academyでデザインを学びます。ジャスパー・モリソンの事務所に勤務
した後、ミュンヘンに戻り、『コンスタンチン・グルチッチ・インダストリアルデザイン』を設立しました。
Platner chair(プラットナーチェア)
Warren Platner/第2・3F/UpperDeckTokyo
細いスチールワイヤーが繊細な曲面を構成、金属でありながら半透明のスクリーンのような不思議なイス。
細部を見ると、一本一本のワイヤーがそれぞれ違う曲線をもって足元から背面まで伸びていて、要所要所で
ていねいな溶接がしてあります。工業製品というより工芸品と言うべき手わざです。
デザイナーは、アメリカのウォーレン・プラットナー(Warren Platner:1919~)。ボルティモアに生まれ、
コーネル大学建築学科大学院を卒業後、レイモンド ローウィー事務所やエーロ・サーリネンの事務所で、
建築・インテリアデザインを手がけます。
この細いスチールワイヤーによる『プラットナー・コレクション』は、1966年にKnoll社により発表されると、
各界から注目を浴び、アメリカ建築家協会国際大賞受賞を受賞しています。
柏戸(かしわど)イス
剣持勇/第2・3F/UpperDeckTokyo
日本の天童木工によるイス。スギの無垢材を集積して作られ、2014年7月現在で62万円という高価なイス。
デザイナーの剣持勇(けんもち・いさむ:1912~1971)は、第二次大戦後の日本のデザインの礎を築いた
ひとりで、1952年に日本インダストリアルデザイナー協会を、渡辺力、柳宗理らと結成しています。
彼の作品(ラタンチェアー)は、日本の家具としてはじめてMoMAの永久コレクションに選定されました。
山形県天童市の天童木工と剣持勇の縁は深く、天童木工のサイト『デザイナーとの共演』(←link)によると、
戦前の国立の工芸指導所において、先に入所していた剣持勇から、後に天童木工に入社し天童木工の
成形合板技術をリードすることになる乾三郎が、指導を受けていたといういきさつがあります。
また、この柏戸イスについては、『熱海ガーデンホテルのロビー用にデザインされました。その名は、山形県
出身の力士、柏戸関の横綱昇進を記念してこの椅子が贈呈されたことにちなんで付けられました。成形合板
を得意とする天童木工にあって、無垢材のみで作られたこの作品は異色の存在です。』と、記されています。
剣持勇は、1971年、日本最初の超高層ホテル、京王プラザホテルのデザイン・ディレクションを成功させた
直後に、突然、自死の道を選んでしまいます。 その最後は悲しいものでしたが、彼の家具は、今も生産され、
多くの人々に愛されています。
以上、最後まで読んでくださってありがとうございました。
よければ、『羽田空港名作イス 2』 を、続いてご覧ください。
※名作イスのリプロダクト品は、市販価格に大きな差があります。記事中の価格はあくまで参考で、いわゆる
『正規保障』については考慮していません。価格差については、『ネット買いバウハウス 2』 を参照のこと。
※イス・タイトルの『第2・3F/UpperDeckTokyo』は、羽田空港・国内線・第2ターミナル(ANA側)・3階
のフードコート、 UPPER DECK TOKYO(アッパー・デッキ・トーキョー)を示します。
※冒頭で『イスがまだ置いてあるうちに、羽田ご利用の際に座ってみてください』 という、気になる言い方を
した理由は、次回ご説明します。
『羽田空港名作イス 2』 (羽田空港で見かけるデザイナーズチェアを詳しく紹介。2回目)
『羽田空港名作イス 3』 (羽田空港で見かけるデザイナーズチェアを詳しく紹介。3回目)
『羽田空港名作イス 4』 (羽田空港で見かけるデザイナーズチェアを詳しく紹介。4回目)
『このイス、どこに置く?1』 (第1話【ハイバックチェア『ヒルハウス』のオリジナル位置】)
『このイス、どこに置く?2』 ( 第2話 【邸宅ヒルハウスの寝室の双子のイス物語】)
『このイス、どこに置く?3』 (第3話 【『レッド・アンド・ブルー』と『ヒルハウス』を比べる】)
『このイス、どこに置く?4』 (第4話 【『ヒルハウス』の美しさのヒミツを構造から読み解く】 )
『聖ヒエロニムス謎の書斎』 (名画『書斎の聖ヒエロニムス』の謎の書斎に迫る)
『雲形文様がなんか好き』 (雲形文様にまつわる話いろいろ)
『掌(てのひら)の指輪』 (手のモチーフにまつわる話いろいろ)