もうDIYでいいよ。

聖ヒエロニムス謎の書斎

 

 

15世紀のイタリア画家アントネロ・ダ・メッシーナの『書斎の聖ヒエロニムス』は、とても不思議で魅了的な

絵ですが、先日シゲシゲとこの画像を見ていて、ちょっと感じることがあったので、今回はそのことから書き

始めたいと思います。

 

中央に座っているのが聖ヒエロニスム(聖ジェローム)で、時代は4世紀末から5世紀初め、場所はおそらく

パレスチナのベツレヘム周辺の修道院のどこか。聖ヒエロニスムは、多数の執筆のかたわら、旧約聖書

(ヘブライ語)のラテン語訳を続けています。  新約聖書(ギリシャ語)のラテン語訳は既に彼がローマにいた

時に完成済みで、旧約の翻訳の完了で、いよいよ新旧そろった完全翻訳版が完成するわけです。

このラテン語訳聖書『ウルガタ』は、その後1500年にわたってカトリックのスタンダードとなるでしょう。

 

とまあ、こういう聖ヒエロニムスに関するウンチクは、この絵を鑑賞する上では、あまり参考になりません。

彼のアトリビュートであるライオン(右奥)や枢機卿の帽子もお約束程度で、注目するほどではありません。

 

       

 

じゃあ、何に注目するかというと、それはもう圧倒的に『書斎』そのものです。

 

本当は、アントネロ・ダ・メッシーナが描こうとした主役は、この書斎ではないかと勘繰りたくなるほど克明に

描写された細部。階段3段分の高さの基壇上にコンパクトにまとめられた書棚・書見台・椅子・チェスト‥。

きわめてユニークかつチャーミングな家具の形状。左のアーチ状の開口部を経て画面では見えない左側に、

さらに家具が続いているように見えます。

 

この書斎がある場所もユニークです。絵の上部の高い位置にドーム構造が見えます。交差穹窿(オジーブ

ボールト)の天井をもつカテドラルの身廊の一区画に、忽然とこの書斎が出現したような印象を受けます。

 

この奇妙な『書斎』が何者なのか良く分かりません。もしかしたらアントネロの時代のルネッサンス期に、

こういう形式の木造構築物が存在したのかもしれません。

 

        

 

ここからはヨナデンの空想になりますが、これは、本来書斎向きでない建物の大空間に設けられた、

聖職者用の仮設の仕事場であり、コンパクトな居住装置なのではないでしょうか。

 

聖ヒエロニムスは、この書斎に靴を脱いで上がっています。タオルのようなものや鍵が壁にかかっていますし、

棚には本だけでなく雑多な道具が並んでいます。書斎というより、ここに住んでいる感じさえします。

 根拠があるわけではないのですが、この絵を見る度に、この構造物が、書斎の機能だけではない、

総合的な居住装置である証拠を目を皿のようにして探してしまいます。

たとえば、居住装置であれば、休息のための寝台が付属していても不思議ではない気がするのです。

 

よく見ると、聖ヒエロニムスが本を読んでいる書見台と、その背後の棚との間に人一人が通れるほどの

スペースがあるように見えます。

これは、勝手な思い込みではなくて、フランスの彫刻家 Eden Morfaux の『書斎の聖ヒエロニムス』の

家具模型(2008)を見ても、明らかに空間があって、そこにEden本人が立っています。

 

さらに、ニュージーランドの建築家ウィリアム・トマスは、自宅のstudy room を『書斎の聖ヒエロニムス』からの

引用(左右対称ですが)で仕上げていますが、そこでもスペースがあります。

 

たぶん、この書見台に隠れて見えない隙間(すきま)に、ある程度のスペースがあるのは確実でしょう。

ここで想像を逞しくして、この隙間が、ただの空きスペースではなくて、階段か梯子のようなものがあって、

構造物の上に登ることができ、さらに左側にある画面では隠されている上層の寝台へと通じていると

想像してみましょう。こんな感じです。

 

鑑賞者の想像力を刺激するもう一つの見どころは、この居住装置が、軽量性(かつ断熱性)を意図しているらしく

見えることです。この絵について『舞台装置のようだ』という感想をよく聞きますが、その印象を強くしているのが、

手前の3段の階段のある基壇の構造です。何を言いたいかというと、この書斎、『動かせる』んじゃないでしょうか。

 

『可動性』は、一般的に、コンパクトな居住装置の魅力のひとつです。必要があれば、数人の手で組み立て直して、

たやすく別の場所に移動できる魅力。もし聖ヒエロニムスの書斎が可動性を持っているとすれば、メリットの一つは

『採光』でしょう。自然光に依存する書斎にとって、書見台が窓際に置けないことはハンディです。高窓からの採光

を考えると、夏冬で最適な採光場所に位置を変えられる書斎というのは、実用的な発想だと思うのですが…。

 

 

            

 

さて、可動性とコンパクトな居住装置というキーワードで絵画を考える上で、美しいレメディオス・バロを思い出さない

わけにはいきません。

スペイン内乱時、メキシコに亡命したシュルレアリズムの女流画家であるレメディオス・バロは、コンパクトかつ

魅力的な居住装置(その多くが未知の自然エネルギーを利用した駈動装置付き)を描いています。

 

 著作『レメディオス・バロ:予期せぬさすらい』の中で、ジャネット・A・カプランは、アントネロの『書斎の

聖ヒエロニムス』と、レメディオス・バロの『ハーモニー』との類似を指摘しています。

ジャネットは、『‥分厚い壁に囲まれた空間で、崇高な仕事に没頭する独りの人物。アーチ型の戸口や天井、

高窓、寄せ木造りの床‥』(前掲書p190)と、共通点をあげ、アントネロのような15~16世紀のフランドル派

絵画へのバロの関心を示唆しています。

不思議なことに、この絵の中央に、棚の上にある寝台という奇妙な家具が描かれているのです。

 

 

この『ハーモニー』を描くにあたり、バロがアントネロの『書斎の聖ヒエロニムス』を参考にしたかどうか

実際のところは分かりません。

しかし、もしバロがアントネロの絵に関心があったとすれば、あの書斎に、ヨナデンと同じような居住装置の

イメージをバロも夢想していたのではないかと、『ハーモニー』を見る度に思ってしまうのです。

 
 
 

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