方丈:移動可能という夢
にぶく語る / コンパクトな居住装置 / スケッチ / 外で見つける
2012.10.11
前回、『方丈記』の鴨長明が住んだコンパクトな組み立て式住居、『方丈庵』の復元レプリカ(上画像)について、
その壁を構成するパネルを中心に詳しく鑑賞しました。
今回は、方丈庵を移動する場合の運搬方法やそのインテリアについて話題にします。
その前に、このレプリカを京都に行ったついでに見たいという奇特な方が、おられるかもしれないので(^_^;)
ちょっとだけ、その場所である京都・下鴨神社摂社・河合神社の位置について説明します。
京都の地図を見ると、北の方に、賀茂川と高野川が合流して鴨川となる、特徴的なY字形の場所が
すぐ見つかると思います。その賀茂川・高野川に挟まれた部分を中心に、かつて広大な原生林が広がって
おり、現在もその一部が『糺の森(ただすのもり』として下鴨神社(賀茂御祖神社)の境内に残っています。
鴨長明の頃にあった森林の数十分の一になったとはいえ、今も、東京ドーム3倍の広さの見事な社叢林で、
源氏物語や枕の草子など多くの古典に名を残した風情を味わうことができます。
河合神社は、この糺の森の南端にあり、ここから、森の中の参道を北上して下鴨神社の社殿に向かいます。
復元レプリカは、河合神社の境内にあり、今のところ(9月下旬)見学料などは必要ありません。
鴨長明(1155~1216)は、下鴨神社の神官である禰宜(ねぎ)、鴨長継の次男として生まれ、
若いころから和歌と音楽の才能を発揮し、後年、後鳥羽院から河合神社の禰宜職に推される
こともありましたが、様々の事情により、隠遁生活を選ぶことになります。
2.方丈庵の運搬
もし、心にかなはぬことあらば、やすく外(ほか)へ移さむがためなり。
その、あらため作ること、いくばくのわづらひかある。積むところわづかに二輌、
車の力を報ふほかには、更に他の用途いらず。
(鴨長明/方丈記)
——-車賃を払うことのほかには、他の費用はまったくいらない。 ということは、
彼がこの移動式住居を日野山に据え付ける以前に、最低限のところで一度は、
二輌の牛車に積んで動かしたことがあるということであろう。
大原山から日野山へと、たとえば京郊外の春の日に、牛車二台でギイギイと
のんびりした音をたてながら、この家の材料を積んで、その牛車のそばに
自らつきそって歩いている、神主から転向した坊主頭の老長明を想像してみると、
私は時に噴き出し笑いに笑い出したくなる。
(堀田善衛/方丈記私記)
前回の1.方丈庵の構造で図解したイラストのパーツを使って、それを下図右下の、牛車(幅1.5m・
奥行き4m程度の荷物を置ける大型の大八車)に載せるシミュレーションをしてみました。
上の記述のとおり2輌でおさまりましたが、この他に、若干の家具や仏具、書籍・楽器などの備品類が
あることを考えると、ごくプライベートな移動式住居としては、このレプリカ程度の規模が限界のような
気がします。
復元レプリカは、構造材をできるだけ軽く、必要最小限にしてありますが、それでも、屋根材・柱材・床材が、
体積・重量的に大変そうです。長明は、『車の力を報ふほかには、更に他の用途いらず』と言っていますが、
運搬後、本人が全部組立てたとは、とても思えません。DIY感覚で、ちょっと屋根を上げるなんて無理な話で、
無償でも手伝ってくれる助っ人が、きっと何人かいたのでしょう。
3.方丈庵の囲炉裏(いろり)をめぐって
東に三尺余(あまり)の庇(ひさし)をさして、柴折りくぶるよすがとす。
(鴨長明/方丈記)
東の垣に窓をあけて、こゝにふづくゑ(文机)を出せり。
枕の方にすびつ(炭櫃)あり。これを柴折りくぶるよすがとす。
(異本『流布本』/方丈記)
今に伝わっている『方丈記』にはいくつかの異なる版(本)があり、中でも京都府丹波・大福光寺で
明治期に発見された、漢字カタカナ交じりの最古の写本(以下、大福光寺本)が、長明の自筆である
可能性があり、また文体の洗練度からも、現在入手できる最良の原本とされています。
本記事や河合神社レプリカの復元基準、引用している堀田善衛の『方丈記私記』も、全て大福光寺本を
元にしていますが、ネットで見つけることのできる方丈記のテキストは、大福光寺本ではなく、それ以前に
江戸時代から広く読まれていた『流布本』が元であることも多く、流布本は、これから話題にする方丈庵の
インテリアの詳細で大福光寺本とかなりの違いがあります。 注1)
ただ、この流布本を後世の改作として無視してしまえばいいかというと、そうでもなく、長明の推敲の過程
段階を反映したものという意見もあり、参考にすべき点もあるのです。 注2)
例えば、復元レプリカの囲炉裏(いろり)の問題をあげてみましょう。
レプリカの室内をのぞき込んで、目につくのが、部屋の中央を四角く掘り切った囲炉裏です(下画像左)。
これだけ堂々と復元してあるのだから、方丈記にも記述があるのだろうと、大福光寺本を探してみても、
部屋の構成として囲炉裏のことは、明記されていません。
火を使う場所として言及があるのは、『東に三尺余の庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。』とあるとおり、東側の
庇(上画像右)の下にカマドを置いて、外で柴を折り火を焚く(煮炊きする)ようにしたという部分だけです。
それでも復元で、囲炉裏が採用された経緯については、おそらく、京都の冬の気候から考えて、これほど断熱効果
の無い家屋の室内に火の気が無かったとは考えにくい、という考証がなされたのではないでしょうか。
その傍証として、『 埋づみ火をかきおこして、老いの寝覚めの友とす。』という一文も考慮されたかもしれません。
このように、室内の火の気についてハッキリしない大福光寺本ですが、なんと、『流布本』になると、ハッキリ
『すびつ(炭櫃)』という言葉が出てきます。木で囲い灰を入れた炉、囲炉裏、まれに据え置き角火鉢を意味する
『すびつ』が側にあって、『柴折りくぶるよすが』としたと記されていて、外で煮炊きをしたことにはなっていません。
冬場・夜間の調理や暖房効果を考えると、流布本と大福光寺本のどちらにリアリティをより感じるかと言えば、
流布本の方かもしれません。
流布本には、もうひとつ、大福光寺本には無い重要な言葉が出てきます。
『ふづくゑ(文机)』です。
東の窓に向けて机を置いたことが記されているのです。
長明が晩年になっても旺盛な執筆活動を行なっていたことを考えると、大福光寺本で、方丈庵の『書斎』としての
機能が語られていないことは不思議といえば不思議です。
大福光寺本は、インテリアについて、阿弥陀や普賢の絵像・法華経・書物・楽器類だけにスポットがあたるように
絶妙に工夫されていて、より洗練された文体で、流れるように、しかも執着を禁ずるかのごとく淡々と書かれています。
対して、流布本は、『阿彌陀の畫像を安置したてまつりて、落日をうけて、眉間のひかりとす』のような、長明らしくない、
ちょっと飾っているけれど田舎くさい表現や、『普賢ならびに不動の像をかけたり』の『ならびに』のような、少々ぎこちない
接続詞が使われていたり、もし、これらが後人の改作でなく同じ長明の異稿であるとするなら、大福光寺本として推敲
される前の、ゴツゴツしたものを感じるのです。
そのかわり、より人間らしくアクセクと生活を工夫している長明の姿が、流布本の方により鮮明に出ている気がします。
そういえば、家の北側をちょっと囲って薬草園にしたという記述も流布本だけに登場します。
ここからは、ヨナデンの想像ですが、
長明は、方丈記執筆途上のある段階で、それまで書きためてきた方丈庵の生活についての記述から、
寒さに備えて暖をとったり、自分の健康のために薬草を植えたり、熱心に書き物をしたりする、
いわゆる人間くさい活動の一切を、削り取ろうとしたのではないでしょうか。
そうして描かれた最終的な方丈庵の姿は、
祈りと、物憂げな諦観と、放心して自然を眺めるような所在無さの中に、かぎりなく純化されて、
かつて、移動できる居住装置の設計で発揮された機能的な『人間生活』への希求は、後退していきます。
流布本には、その削り取られた『生活』の余波が、まだ少しだけ漂っている気がするのです。
『聖ヒエロニムス謎の書斎 』 (名画『書斎の聖ヒエロニムス』の謎の家具に迫る)
『バロ:謎の駆動住居 』 (女流画家レメディオス・バロが描く不思議な移動住居)
『方丈庵を解体してみる 』 (京都・河合神社の方丈庵レプリカ の構造を詳しく観察)
『風のヒヤシンスハウス 1 』 (詩人 立原道造が紡ぎだす風の住居。その概観)
注1) 大福光寺本と流布本について
ネットでなぜ流布本のテキストが散見されるかについて、古典文学ポータルサイト 『やたがらすナビ』 を
運営なさっている中川聡さんの 『やた管ブログ』 の記事、 『方丈記の諸本』 に詳しい解説があります。
この記事の中で、大福光寺本と流布本の分かりやすい判別法も紹介されています。それによると、
『方丈記』冒頭、『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみにうかぶうたかたは
かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。』の最後の句が、以下のように異なるとのこと。
久しくとどまりたるためしなし。 (大福光寺本/方丈記)
久しくとどまりたることなし。 (流布本/方丈記)
中川さんは、上記『やたがらすナビ』上に、貴重な翻刻・校訂テキスト、 『大福光寺本方丈記』 を
公開されています。これは原本(大福光寺本)を写真撮影した影印をもとに、原文にほぼ忠実な
漢字カタカナ交じり文にデジタル化した資料で、作業には専門のスキルが要求されるものです。
大福光寺本翻刻のネット上の公開は例が無く、大変貴重な資料です。是非ご訪問ください。
注2) 流布本についての論議
立川市の情報サイト『多摩てばこnet』のコンテンツ、『時の人インタビュー』に、国文学研究資料館の
研究主幹 寺島恒世さんのインタビュー記事 があり、この記事の後半に流布本についての論議が
語られています。(『本質的な悩みを扱う–それが文学』)