もうDIYでいいよ。

風のヒアシンスハウス 1


昭和のはじめ

20歳を過ぎたばかりの一人の若者がいました。

 

彼は、詩人として、すでに知られていましたが、

建築家として将来を期待されている学生でもありました。

大学を卒業して就職した建築設計事務所で、

生涯の恋人と出会いました。

 

彼には実現したいと思っていた個人的な建築プランがありました。

それは、当時、芸術家達が集まって住んでいた、ある池の湖畔に

休暇のための小さな住居を建てることでした。

別荘というには、

あまりに小さな間取りに、恋人を呆れさせたりしましたが、

住居の横に立つポールに、滞在中であることを地元の友人に知ら

せる旗を掲げるといった楽しいアイデアを次々思い立ちました。

 

しかし、彼がこの建物を建てることはありませんでした。

ほどなく彼は病に倒れ、恋人に看取られて亡くなりました。

24歳でした。

 

後には、幾枚かのスケッチやプランと、彼の名刺が残されました。

裏面の住所には、こう記してあります。

『埼玉縣浦和市外六辻村別所ヒアシンスハウス』

 

 

詩人・建築家の立原道造が1939年に亡くなって74年後となる2013年。今の別所沼の湖畔に立つと、

不思議にも、立原本人がリアルには見ることのなかったヒアシンスハウスが目の前に現れます。

 


石本建築事務所に就職した頃の立原道造と、
彼の最後を看取った水戸部アサイ。
彼女は同じ建築事務所にタイピストとして入社
した当時としては非常にモダンな女性。18歳頃
に立原と出会い、19歳頃に死別することになる。

 

 

 

 

2004年に有志の方々の努力により建設されたこの建物 は、様々な制約の中で、立原が残したプランの趣旨

をできるだけ活かすべく、1995年頃より検討を重ねて実現されたものです。

 

上のイラストは、この別所沼公園の建物をもとに描いたものですが、立原がもしヒアシンスハウスを実現させて

いたら、という願望をこめて少しパーティー風の演出をしたため、誤解をまねくかもしれない表現があります。

まず、その点に触れておきたいと思います。

 

上のイラストでは、友人たちが野外でお茶を楽しんでいますが、ここで使われているイス・テーブルを収納する

スペースは室内にはありません。ヒアシンスハウスは15㎡程度しかないのです。イスは、立原がデザインした

背もたれに十字形の彫り抜きがあるタイプのものですが、このイスも、室内に1脚しかありません。

 

さらに言うと、イラストに出ているティーポット・ティーカップなども室内に収まる場所がありません。

というか、キッチンに関わる機能の一切がヒアシンスハウスでは想定されていないのです。

これは、この建物の性格を考える上で重要なポイントなので、次回また触れたいと思います。

 

というわけで、上のイラストのパーティーは、近くの鹿島台の住宅地に住む友人がケータリング・サービス的

に運び込んだもの、という解釈にしておいてください(^Д^;)

 

日本には寿司・ソバなどの出前文化が江戸時代からありますが、デリバリー・テイクアウトを含む外食生活

が、昭和初期の別所沼近辺で、どの程度現実的なことだったのかはわかりません。しかし、立原がキッチン

の機能をすっかり除外できたのは、東京郊外での休暇生活(立原の実家は日本橋)で、それなりに食事が

維持できる何らかの勝算があったと考えられます。

 

 

では、ヒアシンスハウスで重視されている機能とはなんでしょうか。

別所沼公園のヒアシンスハウスに近いと思われる(立原の残したプランは図面によって違いがあります)

平面図を下に示します。

詳しい内部の様子は、次回に譲りますが、上の図を見るとわかるように、ベッドとトイレの他は、テーブルと

イスという単純さです。特に東側のパブリック・スペースに相当する部分は、東南コーナー窓の眺望の良さ

もあって、なんというか、景勝地の休憩所のような趣があります。

 

この建物は開口部が広く、コーナー窓を開け放つと、風が心地よく通っていきます。

室内に居ながら風に吹かれるような開放感を味わいながら、これはどいう住居なんだろうと考えました。

居心地はいいのだけれど、『安住の地』とか『終(つい)の棲家』という言葉とは程遠い、かすかな不安感。

ここで生活するというよりも、何か作業するものをここに持ち込んで、一通り作業した後は、持ち帰るという

ような、いつかは居なくなる感覚。……確かに、それはそうなんです。これは休暇用の住居なんですから。

 

しかし、不安感の本質は、そいうことではないのでしょう。

たぶん、このアッケラカンとした空間が示唆することは、我々のすべての『住まい』そのものが仮の宿である

という、普段は気がつかないフリをしている事実かもしれないと思うのです。

 

 

 

『風のヒアシンスハウス』は次回に続きます。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

※別所沼公園のヒアシンスハウス情報を最初に教えてくださったのは、
『逆光の自転車屋』 の jacksbeans さんでした。あらためてお礼申し上げます。

※ヒアシンスハウスの旗のデザインは、立原が知人の画家、深沢紅子に依頼して
いますが、そのデザイン案は現在伝わっていません。記事イラストの意匠は架空
のものです。

 

 

  『風のヒアシンスハウス 2 』 (立原道造の未完の夢『ヒアシンスハウス』のプランの秘密)

  『風のヒアシンスハウス 3  』 (ベッド・スペースの小さな出窓をめぐって)

  『靴箱のエレガンス 2 』 (海外ブログ shoebox dwelling の小住宅記事紹介)

  『靴箱のエレガンス 3 』 (海外ブログ shoebox dwelling が紹介する寝具特集 )

  『SMALL COOL 2013』 (アメリカDIYサイトで人気の小住宅インテリア・コンテスト)

  『優勝住宅30㎡の快適』 (Small Cool 2013 のコンテスト優勝住宅の紹介)

  『方丈庵を解体してみる 』  (京都・河合神社の方丈庵レプリカ の構造を詳しく観察)

  『バロ:謎の駆動式住居 』 (女流画家レメディオス・バロが描く不思議な移動住居)