バロ:謎の駆動式住居
前回の『聖ヒエロニムス謎の書斎 』では、アントネロ・ダ・メッシーナの『書斎の聖ヒエロニムス』を中心に、
レメディオス・バロの絵も少し紹介しましたが、今回はレメディオス・バロを中心に語ってみたいと思います。
レメディオス・バロは、日本では十年以上前に展覧会があったきりで、あまりなじみがありませんが、
最近では、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』(新潮社)の装丁絵に、今回のエントリーのタイトル画像
である『螺旋の路』(部分:レメディオス・バロ 1962 前掲書より)が使われたこともあり、彼女の絵自体は
ご存知の方も多いのではないでしょうか。
そういえば、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』には、レメディオスという名前の女性が複数登場します。
なかでも、小町娘レメディオスの消失の場面は、半端ない美しさで、読む者を圧倒します。
3月のある晴れた午後、小町娘レメデイオスが、数人の女性と庭に干した大きなシーツをたたもうと
している最中、一陣の風が吹いてシーツをはためかせ、なんと彼女の体が宙に浮き上がります。
——-ほとんど盲目に近かったが、ただ一人ウルスラだけが落ち着いて、
この防ぎようのない風の本性を見きわめ、シーツを光の手にゆだねた。
目まぐるしくはばたくシーツに包まれながら、別れの手を振っている
小町娘レメディオスの姿が見えた。彼女はシーツに抱かれて舞いあがり、
黄金虫やダリヤの花のただよう風を見捨て、午後四時も終わろうとする
風のなかを抜けて、もっとも高く飛ぶことのできる記憶の鳥でさえ追って
いけないはるかな高みへ、永遠に姿を消した。‥
(鼓 直 訳 現代世界の文学『百年の孤独』/新潮社/1996 p182)
小町娘レメディオスは美しい女性でしたが、レメディオス・バロもまた美貌に恵まれた女性で、
しかも画家として絶頂期に、突然消えるように亡くなってしまいます。
死因は心臓発作で、享年54歳でした。
レメディオス・バロの絵には、旅をする人がよく登場します。そして旅人は、きまって奇妙な、しかし快適そうな
居住装置というか居住空間に包まれて旅行しているのです。
たとえば、冒頭のタイトル画像の『螺旋の路』では、水路をたくさんの小舟が行き来していますが、あの小舟の
多くは、たぶんナゾの推進装置で動いていると思います。
ちょっと下の画像『オリノコ河の水源の探検』をご覧ください。
ここでは、帽子と衣服が一体化したような小舟が登場しています。バロとよく似た人物がトレンチコートのボタンと
ベルトに結びついたワイヤー線を巧みに操って進路を定めています。推進力は頭上に取り付けた翼から得ている
ようです。こういう自然エネルギーから推進力を得るというモチーフは水力工学技師であったバロの父親の影響で
あろうと言われています。
上の『手品師』では、一部が舞台にもなる便利な住居兼移動装置が登場します。この種の居住装置はバロの
お気に入りだったのか、『キャラバン』(1955)・『植物大伽藍』(1957)でも疾走する姿が描かれています。
上の『放浪者』では、外套が完璧な居住装置となっています。お気に入りの本を並べた書架や花鉢・愛猫までが
コンパクトに収まって、不思議な駆動装置に乗って旅を続けています。
こういう旅+コンパクトな居住装置というイメージは、スペイン→フランス→メキシコと生活の場を移してきたバロの
経歴と無関係ではないでしょう。彼女は人生を旅と考え、旅の途上でも自分らしく活きる環境を常に確保したいと
奮闘を続けてきたような気がします。
しかし一方で、この『放浪者』は、こういう類の居住装置が、ある種のモノへの執着であり、煩悩(ぼんのう)
でさえあることをバロが見抜いていたことを示す皮肉な雰囲気を、その画面に漂わせています。
コンパクトな生き方とかシンプルな生活を目指してミニマムに暮らすというのは、結構むつかしいものです。
それは、清貧・倹約・無欲につながる美徳と思われがちですが、実は、かなり野心的な生活態度なのです。
自分の気に入ったモノだけに執着し、気に入らないモノは傍に置きたくないという頑迷に、たやすく迷い込みながら、
美徳とは遠い別の欲望の虜であることに気づかない自称『生活のミニマリスト』が、現代にも多数存在します。
残されたバロの手記によれば、彼女はそのような執着についても、キッパリと自覚的でした。
『聖ヒエロニムス謎の書斎』 (名画『書斎の聖ヒエロニムス』の謎の書斎に迫る)
『方丈庵を解体してみる 』 (京都・河合神社の方丈庵レプリカ の構造を詳しく観察)
『方丈:移動可能という夢 』 (方丈庵はこうして移動?庵のインテリアにも原典から迫る)
『風のヒヤシンスハウス 1 』 (詩人 立原道造が紡ぎだす風の住居。その概観)